2002年03月14日(木)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた悔いた心」(詩篇51:17)


 日曜日、もし教会に行けるなら多分
あなたは行くだろう。
多くのクリスチャンにとってそれは習
慣であり、またそうであるべきだ。
しかし、教会へ行って礼拝しようとい
う努力が無駄になる事があり、全てが
虚しくなる事がある。その一週間の過
ごし方によっては礼拝の価値が無にな
ってしまう事もある。
不敬虔な生き方のままで礼拝しようと
する人々に、主が厳しい言葉を語って
おられる。民は偽りの神々に従って常
に怒らせていた。彼らがいけにえと歌
によって礼拝に集って来た時、神はそ
の偽善を嫌われた。民が礼拝をする前
に、「悪事をやめ、善をなす事を習い
公正を求める」べきだと教えられた。
私達は神を礼拝する前に、罪を告白し
赦しを求め、神に仕えて、心を整えな
ければならない。日々の神との歩みと
神の命令への従順とが、教会へ行くた
めの備えとなるのだ。でなければ礼拝
は無駄になってしまう。