2014年08月13日(水)

『そこで彼は言った「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」』U列王7:2



飢饉で人々が餓死するような、非常事態の中、エリシャは、「明日、
小麦や大麦が溢れるばかりにある」と言うと、侍従はそんな事が、
あり得ようかと言った。すると、あなたはそれを見るが、食べられ
ないとエリシャが預言した。

そんな時、サマリヤの門に四人のらい病人がいた。町は飢饉、ここ
にいてもどうせ自分達は死ぬ。それなら、敵の陣営へ入ってみよう
と。あるいは食料があるかも知れない。するとその前に、アラム陣
営では、神がアラムに大軍勢の騒ぎを聞かせられ、襲撃に勘違いさ
せた。アラムは驚き恐れ、陣営を置き去りにし逃亡していた。

それで、そこに入ると、山ほどの金銀、溢れるばかりの食料があっ
た。彼らは、王家に知らせた。王は信じなかったが、偵察により事
実を知った。すると、大勢が殺到し、侍従は踏みつけられ死んだ。
預言通りになった。実際、溢れるほどの食料を神は用意された。
しかし、それを信じなければ、自分のものにはならない。溢れる食
料があるに関わらず、飢えて死ぬ事になる。

私達も同様だ。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされ
る事・・、溢れる食料の中にいながら、信じなければ、餓死するよ
うに、溢れる恵みの中で、不信仰でいないだろうか。自分で恵みを
シャットアウトしている自分の姿ではないか。莫大な食料が目の前
に備えられている。信じようとしない自分に気づこう。
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信じないようとしなのは、主の備えておられる溢れるばかりの恵み
に興味がないのではないか。罪の赦しも罪を示されなければわから
ない。知ろうとしない信じようとしない所から立って行こう。