2014年09月13日(土)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配 します」マタイ6:34



「明日のことについて、心配無用」と言っている。これは将来につ
いて備えたり、計画したりするなという事ではない。それは必要だ。
しかし、不安や思い煩いは全く必要無いと。私たちの心配は、「も
し〜」から来ていないだろうか。もし、ああなったら、もし、こう
なったら、「もし病気になったら」「もし仕事が無くなったら」
「もし経済的に困窮したら」幾つもの「もし〜」で思い煩い、恐れ
ている。

しかし、主は言われる「空の鳥を見よ、野の花を見よ」種蒔きもせ
ず、刈り入れもせず、倉に納める事もしない。しかし見事に養われ
ている。野のゆりは、働きもせず、紡ぎもしない。しかし綺麗に装
われている。ましてや、私たちを天の父が養われない事があろうか。

今、目の前に思い煩いがあるだろうか。仕事の問題や、対人関係の
悩み・・なぜ、人は思い煩うのだろう。自分の思い込みによっていな
いか。悲観的思い込みだ。明日はこうなり、将来はこのようにな
り・・と勝手に思い込んでしまう。ネガティブに、悪い方に考え、あ
あでもない、こうでもないと、心が分割、分裂してしまう。

思い煩いとは心が分裂する事だ。分裂状態から、心が定まる事が必
要だ。それが「神第一」だ。主を第一に求め、自分を主に委ねて行
く時、あれやこれやの思い煩いから心が守られる。そして「そうす
れば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」神も、
生活の必要も、どちらも与えられる。

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思い煩う時には、無意識にも自分でどうにかしようと思っている。
そのため自分の肩にすべての問題がずっしりと重くかかって来る。
どうにも身動き取れず、心暗くなる。主が飛んでいる。主を見ると
心配無用!神第一に!と言われる。御言葉に従って行こう。