2015年01月14日(水)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくだ さる」詩篇37:4


よくコペルニクス的転換と言われるが、神に出会うまでは、神無し
で生きて来たので、根深いこの世の価値観が培われている。どこま
でも軸が自分にあって、自分軸で考えてしまうし、そうしか考えら
れない。それが普通で、当たり前で生きて来たからだ。だからどう
しても、「自分のための神」になってしまう。

自分が中心軸にいて、自分が幸せになるための神、自分が困らない
ための神、自分が助かるための神、その底は、どこまでも「自分」
であって、自分のために、神が存在することになる。しかし、そこ
には本当の「喜び」、「御霊の喜び」は無い。

コペルニクス的転換が、自分のための神でなく、神のための自分だ。
自分が中心で、太陽が自分の周りを回っているのでなく、自分の方
が太陽の周りを回っている。自分を中心でなく、主を中心に据える
時に、すべての事が正しく運行して行く。そして何があっても、決
して揺るがされることがない。

あなたは、自分のために神があるだろうか。それとも、神のために、
自分があるのだろうか。人は、誰しも心の底から「喜び」を求める。
のどから手が出るほど「喜び」が欲しい。そして自分の欲望が満た
された時に、喜びと幸せが来ると勘違いしてしまう。

しかし、それならどこまで行っても「喜び」は無く、心はますます
渇くばかりだ。自分を第一、自分の欲望を第一でなく、主を第一に
する時に、主が喜ばれるものを求めて行く時に、初めて、御霊の
「喜び」を経験する。

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「自分のための神」に気づけることが感謝だ。根は深く、しかし主
の愛は更に深く、繰り返し繰り返し、気づかせ、矯正し、軌道修正
しつつ導いて下さる。主に向き続けるなら、自己満足の喜びでなく、
主を喜ぶ、真の喜びへと転換させて下さる。