2015年03月14日(土)

「彼らは大きな恐怖に包まれて互いに言った。『風や湖までは言う ことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう』」マル コ4:41



主は弟子たちに「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。弟子たち
は自分たちがそうしようとしたのではなく、主から発した事であっ
た。主の言われる通りにしたなら、嵐に会った。御心に従ったら、
試練に会った。

「おぼれて死にそう」と、嵐も経験し、慣れているベテラン漁師た
ちが、危険を覚えるほどの暴風雨であった。この場合、主に従わず
に、岸にとどまっておれば、嵐に会わなかった。私たちは、主の御
心の従う中で、嵐に遭遇する。試練は悪ではない。試練は私たちを
鍛え、強くし、成長させてくれる。試練が無ければ成長はない。

動揺した弟子たちは「死にそうなのに、何とも思われないのか」と、
眠っている主を起こした。私たちも、嵐に会う時、このようだろう
か。こんなに苦しいのに、主は何とも思われないのか。「突然のリ
ストラ、経済的苦境、主は何とも思われないのか」「この対人関係
の苦しみを何とも思われないのか」「この病の苦しみを」。

すぐに何とかして欲しい。しかし、起き上がった主は、風を叱りつ
けられた。すると、風はやみ、大なぎになった。自然界を支配され
ている、生ける神そのものである主イエス。その主が共にいるのに、
どうして恐がるのか。「信仰が無いのはどうしたことです」。

今、嵐に会っているだろうか。結果的に、この時弟子たちは、従っ
たゆえに、主が生ける神であることを知った。私たちも嵐の中で、
生ける主を新たに知って行ける。

・・・・・・・・・・・・
主は弟子たちの危機的状況に、ちゃんと対応し、救い出して下さっ
てから、「信仰」のことを言われた。これは「波・風」の問題でな
く「信仰」の問題だと。いろんな出来事の中で、信仰を培って下さ
っている。目の前の問題を「信仰」もって見てみよう。