2016年06月13日(月)

「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」詩編84:5




私たちの人生に、悲しい事や苦しい事、理不尽な事、理解出来ない
事が起きる。それは、未信者にもクリスチャンにも同じように起き
る。しかし、その違いは、神を信じる人は、どんな悲惨な事、どん
な苦しい事の中にも、神を認めて行く。痛みや苦しみの中にも、信
仰により、神を認めて行く。そのまっただ中に神がおられ、神の愛、
慈しみ、助けを実際に体験して行く。

神を信じない人は、どんなに奇跡的な素晴らしい事があっても、そ
こに神を認める事は無い。ただの偶然にすぎない。そこの違いだ。
信じる人は何を見ても、どんな出来事が起きても、そこに神を認め、
神の愛を信じる。どんな問題や悩みが来たとしても、神を信じてい
るから、深い涙の谷であったも、そこを泉の湧く所とし、その中に
神を見、神に出会って行く。

苦しみがあっても、その内に良い事もあるさ、というような事では
なく、涙の谷自体が泉の湧く所となる。何をどうして良いかもわか
らない、まさにどん底で、慰めや平安の泉が湧き上がる。そのどん
底に神がおられるからだ。信仰とはそういう事だ。

もし、思い煩いや、不安、怒りがあるなら、神以外のものを頼り、
見ているという事になる。どんな苦しみの中でも、そこが、泉の湧
く所だ。神がそこにおられるので、湧き上がる平安や、御霊の喜び
を経験する。シオンへの大路にある人、心が神に向いている人は、
何にも代えられない幸いを経験して行く。
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涙の谷で立ち上がれるのは、ただ神を見上げた時だ。どれだけ自分
の内をさぐっても、逆境の中で泉の沸く場所はない。自分を頼れぬ
事を知り、更に神の御手を離さず歩める。