2016年08月14日(日)

「イエスは答えて、彼らに言われた『あなたがたは行って、自分た ちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい』」マタ イ11:4 


ヘロデ王が自分の妻を追い出し、弟の妻をめとった。バプテスマの
ヨハネは、そのヘロデの行為を、はっきりと不法だと、正しくない
と指摘した。そのためヨハネは投獄されてしまった。主は不義を裁
く方であり、ヘロデ王を制裁されるのではないのか。しかし全く何
も起こらない。ヨハネが思っていた主と、獄の中で、耳にする主の
姿が違っていた。

「・・殻を消えない火で焼き尽くされる」、正義の審判者であるメシ
ヤを思っていた。ところが裁き主ではなく、悲しむ人を慰め、寄り
添い、病人を癒し、罪を赦している。それでヨハネは弟子に、メシ
ヤはあなたか、それとも、別の方かと問わせた。主は、その弟子た
ちに「自分の聞いたり見たりしていることを報告せよ」、つまり目
の前の「事実」を伝えよと答えられた。

「盲人が見、足なえが歩き」これらはメシヤのしるしだ。そして
「わたしにつまずかない者は幸い」とヨハネに託された。つまりは
自分がメシヤだと言われた。そして、主はヨハネのことを、「預言
者よりもすぐれた者。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハ
ネよりすぐれた人は出ませんでした」と言われた。

主はヨハネを認め、評価し、愛し、慈しんでおられた。ある人々は
剣の刃を逃れ、奇跡的に救われ、ある人々は苦しめられ、殉教した。
そしてヨハネは後者だった。皆、違い、それぞれに託された使命と
御心がある。それぞれ違う形で、主の栄光を現して行く。

又、真摯な疑問は、直接、主に問えばよいことを教えられる。主は
その問いに答えて下さる。わからない事はそのまま祈りに持って行
こう。

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信仰生活で、時に自分の期待通りや、自分の思い通りで無かったり
する事がある。しかし「わたしにつまずかない者は幸い」だと言わ
れた。拒んだり、心固くするのでなく、心開いて、更に主から学び、
主を信頼して行けるよう祈ろう。新たに主を知る時とされる。