2016年09月13日(火)

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリント12:9



サウル王は、ゴリアテと戦って大勝利したダビデを召しかかえる。
最初はサウルも良い部下を持って幸いだった。ところが忠実なダビ
デは王に仕え、戦いで勝利に次ぐ勝利、連勝して行く。すると女た
ちが、笑いながら繰り返し歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは
万を打った」。女たちに笑いながら比較されたこの事が、サウルの
プライドをひどく傷つけた。

この時からサウルはダビデを疑いの目で見るようになり、激しい妬
みは憎悪となり、実際にダビデ殺害へと動いて行く。そこにサタン
が働いた。ダビデはサウルに何の悪い事もしていない。歯向かった
わけでも、裏切ったわけでもない。ただただ忠実に、誠実にサウル
に仕えていた。それが、命を狙われ、絶えず死と隣合わせだ。

どんなに恐怖だったろう。なぜこういう事になるのか。この理不尽
は何なのか。しかしダビデは、これらすべてを「主に」持って行っ
た。悩み、苦悩、嘆き、悲しみ、恐怖、不安・・主の前で、泣き、
怒り、思いも感情も吐き出し、注ぎ出した。「どうしてですか」
「いつまでですか」「見捨てられたのか」「苦しい」・・そのまま
の気持ちを率直に訴えている。

その結果、詩篇のどの箇所も、最後には賛美に変えられ、平安へと
導かれている。日々に命をつけ狙われる弱さの極みで、ダビデは主
に心底すがりついた。それは信仰だった。何も無い時にはそれほど
真剣に頼れない。神の力は弱さの内に完全に現れる。ダビデは弱さ
の中で、主への信頼がますます強められて行った。
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主の助け、備え、恵みはいつも傍にあるのに、全ては受け止めきれ
てはいない。自分の弱さを認める時に、主よ!と一番強い方を呼び
主の後ろに安心して従っていける。弱さは祝福だ。