2017年05月14日(日)

「たとい、主が天に窓をつくられるにしても、そんなことがあるだ ろうか」U列王7:2



飢饉で人々が餓死する、非常事態の中、エリシャは「明日、小麦や
大麦が溢れるばかりにある」と語った。すると侍従はそんな事が、
あり得ようかと言った。それを聞いてエリシャが、あなたはそれを
見るが、食べられないと預言した。そんな時、サマリヤの門に四人
のらい病人がいた。町は飢饉、ここにいてもどうせ自分達は死ぬ。
それなら、敵の陣営へ入ってみようと。

あるいは食料があるかも知れない。すると敵の陣営で、神が敵に、
大軍勢の騒ぎを聞かせられ、襲撃と勘違いするようにされた。敵は
驚き恐れ、陣営を置き去りにしたまま逃亡した。それでそこに入る
と、山ほどの金銀と食料が溢れていた。彼らは、王家に知らせた。

王は信じなかったが、偵察により事実を知った。すると大勢が殺到
したので、門の管理をしていた侍従は踏みつけられ死んだ。預言通
りになった。実際、溢れるほどの食料を神は用意された。しかし、
それを信じなければ、自分のものにはならない。溢れる食料がある
にかかわらず、飢えて死ぬ事になってしまう。

私達も同様だ。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされ
る事・・、溢れる食料の中にいながら、信じなければ、餓死するよう
に、溢れる恵みの中で、不信仰でいないだろうか。自分で恵みをシ
ャットアウトしている、自分の姿ではないだろうか。満ち溢れる食
料が目の前に備えられている。信じようとしない自分に気づく事か
ら始まる。

・・・・・・・・・・・
「そんな事、ありえない」との侍従は、恵みを受け取れなかった。
主の言葉は実現する。御言葉を捨ててしまわないで、耳を傾けて、
信じて行く時に、みわざを見て行く。御言葉を流さないで「信じら
れません」と主に向き合って行こう。次の展開へと導かれる。