2017年06月13日(火)

「すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた」マルコ5:29


一人の女性が、12年もの長い間、長血の病にあった。その間、次か
ら次へと望みを託して、多くの医者にかかったが直らず、財産も使
い果たしていた。長い歳月、どんなに恐れと不安にさいなまれ、苦
しみと辛さの中にあった事だろう。もう必死に、あれこれと画策し、
やってみた事だろう。

しかし「何のかいもなく」、努力のかいなく「悪くなる一方」であ
った。更に悪化し、すべての道が閉ざされ、もう何の望みも持てず、
まさに絶望だった。そんな時に主イエスの事を耳にした。瀬戸際の
必死な思いであり、着物にでも触ればきっと直ると信じ、主の着物
に触った。すると触った瞬間、癒された。

主は「だれが触ったのか」と触った人物を捜された。人の心の中ま
で見透かされる主は、聞くまでもなくご存じであったろう。しかし
女性のために、女性が、主ご自身と接触するようにされた。そのま
ま帰るなら、身体は治ったが、残りの人生、主とは何の関係も無く
生きて行くことになる。

すると彼女は「ひれ伏し」人前も構わず、主にすべての今までの真
実を告げた。「安心して帰りなさい」との宣言を受け、12年間の心
の苦しみ、悲しみ、傷が何もかも癒された。心身癒され救いを受け
た。「安心して」とは何という喜びだろう。主は不安と恐れを安心
に変えて下さる。

私たちも主に自分の苦しみを打ち明けよう。主は癒して下さる。又、
主は一刻を争うヤイロの娘へと向かう途上に、女性に対応された。
一途に主を求める魂を、主は必ず顧みて下さる。
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病にあっても健やかでいられるのは、祈る前から必要をご存知の主
にあるがままを訴え、満たされる安心感があるからだ。もう一人で
走り回りびくびくしなくても良い。その健やかさの源を知っている。