2018年06月13日(水)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる」詩篇55:22 




時に見る光景がある。小さな子供が、口の狭いキャンディボックス
に手を突っ込み、飴をいっぱい握りしめ、手が出ないと泣き叫んで
いる。飴を放すと、手が出るのだが、絶対に飴は放さず泣くばかり。
滑稽だが、私たちの霊的生活に似ている。例えば、嫌な、赦せない
相手がいて、心が悶々と辛くてたまらない。

平安が無く、喜びも無く、心は苦しい。飴を手放すなら、ボックス
から手が出て、自由になるように、憎しみや裁く思いを手放す時、
心は解放され、喜びと平安が戻る。しかし、強固な自我は、放した
くない。苦しいのに、赦したくないし、愛するなどとんでもない。
嫌いなのだから。罪の性質だ。しかし心は辛い。

そんな時、「赦す事が出来ません」「赦したくありません」と自分
の姿をありのまま認める事から、主のみわざは始まる。祈りに答え
て、主が赦せるように、様々導いて助けて行って下さる。ある人が
生まれた子供の難病を、どうしても受け入れられなかった。

なぜ?自分の子が?と涙は溢れ、グルグル思いは回るばかりで、苦
しく、悲しく、又、神に対して反抗している自分もいた。特に同年
齢の子供を見れば涙が溢れた。苦しくてたまらず、とうとうもう悶
々も反抗も苦しみも限界で、許容量オーバーで、主に対してギブア
ップした。自分自身も子供も、将来も、不安も恐れも、自分の思い
も何もかもを、主に明け渡した。

その時、状況は同じなのに、心に初めて深い安堵と平安が臨んだ。
不思議だった。主は委ねる時に、みわざをして下さる。委ねられな
いで握っているなら、その事を主に告げて、ありのままの心を祈ろ
う。主があなたの事を、心配して下さっているのだから。
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偽らない心の内を祈ることが委ねる最初の一歩としよう。主の平安
が来る。荷はあっても、主が心配してくださるの御言葉を自分のも
のとして今日も受け取ろう。