2019年05月14日(火)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4



ある人が、ある事に強い願望があり、「○○を与えてくれたら、神
がおられることを信じる」との祈りをした。ところが、その事は成
らず、何も起こらなかった。しかし、その事についてよく考えた時
に、神がなぜこんな自己中心な、自分勝手な祈りに答えなければな
らないのか、自分が間違っていると思えた。

私たちにも、あるかも知れない。神が自分の思い通りに、祈りに答
えてくれたなら、神を信じよう。そうでなければ、信じない。これ
は不信仰だ。御言葉だけなら、信じがたいので、自分が納得できる
証拠をくれという事になる。これは際限が無い。そしてこのような
ら、仮に主がみわざをして下さっても、自分の思い通りでないなら、
決して受け入れ無いし、認めない。

主と御言葉の上に、自分を置き、主を試している事になる。高慢な
思いだ。そこには自分の思いがあるばかりで、主が見えない。主は、
私たちが欲しいものを、手に入れるための手段では無いし、幸せに
なるための手段でも無い。主は、私たちの思い通りには動かれない。
そうでなく、主と御言葉の下に自らがへりくだり、自分の思いを捨
てて、主の御心を求めて、そのお心に従って行く時に、必ず喜びと
平安が来る。

自分の思いでなく、主の御心が重要だ。主のお心を求めて行く時に、
主とひとつだ。主とひとつであるので、主の願いが、自分の願いと
なり、その御心に適った願いは叶えられることになる。主を喜びと
する人は、主のお心を求めて行くので、その求めは叶えられる。今、
軌道修正が必要だろうか。
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祈りはありのままの自己中心から始まるが、主の御心を尋ねている
うちに、手放せない思いも明け渡せるようにとの祈りに変えられる。
主が整えてくださるのをいつも感じる。