2019年08月13日(火)

「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする」出エジプト16:4



イスラエルは、目の前で紅海が分かたれるという、偉大な主の奇跡
を見て、主エジプトを果たした。後にも先にも無いような、驚異的
な輝かしい奇跡だ。民はどんなに大歓声を上げ、喜びの叫びだった
事だろう。しかし、それも束の間、荒野に入った途端、水が無い、
食べ物が無いと、不満噴出で、モーセに食ってかかる。さっき神の
偉大な全能の力を見たばかりで、その神が共におられるのだ。

信じておれば良いだろうと思うが、しかし、イスラエルの姿は自分
の姿だろうか。自分に都合良く、順調に行っている時だけの感謝で、
ちょっと状況が厳しくなると、不平不満、愚痴、恨み事が出て来る。
感謝も恵みも吹っ飛んで、更には神を責め始める。その後は、民は
「どうして荒野になど連れて来た」「飢え死にさせるためか」「エ
ジプトにいた方が良かった」「エジプトに帰ろう」とまで言い出す
始末だ。

何が問題なのだろう。常に自分を中心に、物事を見ていて、自分軸
で世界が回っているので、「自分の思い」「自分の感情」が第一に
なっている。そして「自分の損得」で動いてしまう。険しい状況に
なった時に、「主はどう思われてるのか」「主のお心は」「御言葉
は何と言っているのか」。ここが大事だ。

「自分は」〜でなく、「主は」〜に、主語を置き換えて、神視点に
立つ時、見方が一変する。心が落ち着いて来て、平安になって来る。
主は善い方であり、愛して下さっていて、最善をして下さることに
目が向いて行き、信仰を働かせて行ける。主は荒野の間、毎日マナ
を降らせ、うずらを与えて下さった。自分軸になっていないだろう
か。
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肉はいつも不平不満を見つけるが、感情にふり回されず信仰による
平安と喜びを望みの主に祈ろう。順境にも逆境に主は共におられる
主を仰ごう。苦しい今も主のご計画の途上だ。