2019年09月13日(金)

「イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか」ヨハネ21:17



ペテロと弟子たちは、肝心な時に、主を否み、裏切り、主を捨てて
逃げ去った。その後ガリラヤに戻った彼らの心はどんなものだった
ろう。死んでも従うとのペテロの満々の自信は、こっぱみじんに砕
かれた。なすすべなく、一度捨てた網をもう一度取り、漁をする。
しかし一匹も捕れない。心は深い後悔と痛み、激しい落胆、言いよ
うの無い虚しさ、挫折感だったろう。

夜明け頃、岸辺に立つ見知らぬ人が「子どもたちよ。食べる物があ
りませんね」と叫んだ。声の主はわからないまま、「はい、ありま
せん」とありのままを答えた。すると直ちに「舟の右側に網をおろ
しなさい。そうすればとれます」との声。その声の言う通りに網を
下ろした。すると、何と網を引き上げられないほどの大漁だった。

以前の全く同じ光景を思い出したヨハネは、瞬間「主です!」と悟
った。ペテロは主に会いたい一心で湖に飛び込んだ。上がるとそこ
に主がおられ、魚とパンの朝食が用意されていた。「なぜ、裏切っ
たのか」と一言も言われず、叱りも責めもされない。三回の裏切り
は、「わたしを愛しますか」の三回の問いかけにより、深い傷をが
おおわれ癒されて行った。

そして「羊を飼いなさい」と牧会の働きを委ねられた。神の御心に
添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせる。
罪は赦され、信仰を回復させて下さる。弟子たちへの慈しみとご愛
は、私たちへも同じように向けられている。
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深い後悔で主の前に裸になるとき、「はい、ありません」と素直に
認められる。言い訳もできない失敗も主は変わらず愛して下さる。
主のご愛に応答していこう。