2020年02月12日(水)

「ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい」ルカ1:13




夫ザカリヤは祭司で、妻エリサベツもアロンの家系で、共に神に従
う人であった。しかし大きな悩みがあった。エリサベツは不妊で、
夫婦共に老齢だった。長い間祈って来た事だろう。突然、主の使い
が現われ「あなたの願いが聞かれた」と告げる。妻に男子が与えら
れ、その子はイスラエルの人々を神に返らせ、メシヤのために道を
備えると。驚くべき喜びだ。

子供が与えられ、長く待ち望んだメシヤがもうすぐ来られると。し
かしザカリヤは信じる事ができない。状況的に不可能であり、何に
よって信じれるのかと。証拠を求めた。すると彼は口がきけなくな
った。私たちも神の言葉と状況が反する時に、信じ難いだろうか。
だが奇跡は常に「不可能」の土壌で起きる。不可能でなくてはなら
ない。だからこそ奇跡だ。

主はザカリヤをおしにされ、彼はその期間、主を見上げ、主の言葉
を思い、握りしめ、反すうした事だろう。不信仰が信仰へと導かれ、
子供が生まれた時に、主の命令通り「ヨハネ」と名付けるように伝
えた。その途端に「彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるように」
なった。主に従ったゆえであった。

そして彼は「神をほめたたえた」。主がザカリヤを助け、彼の上に
もみわざをされた。「主によって語られたことは必ず実現すると信
じきった人は、何と幸いなことでしょう」。主は信仰を与え、不信
仰を信仰へと導かれる。
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状況的に不可能だと判断してしまうのは狭い自分自身だ。これは信
じられるが、これは信じられないと。神の思いやご計画は時が来れ
ば必ず実現していく。信仰を祈ろう。