2020年03月14日(土)

「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしも べがあなたをのろうのを聞かないためだ」伝道7:21

人の言葉には、大きく影響を受けてしまう。人からの言葉がひどく
気になり、恐れや思い煩いにさいなまれるだろうか。又、面と向か
って責められたり、批判され、攻撃を受ける事があるかも知れない。
ダメージを受けて、心暗くなり、心沈んでしまう。

よく考えてみて、もし自分に非があり、落ち度があるなら、悔い改
めなければならないし、又、相手に謝る事が必要だ。しかし幾ら考
えても、自分に落ち度が見受けられないなら、御言葉に目を向けて
行こう。「人を恐れるとわなにかかる」とあり、自分が落ち込むの
は、自分の中で、人の言葉が、神の言葉より上になっていて、人の
言葉に重きを置いているのではないか。

神の言葉と人の言葉と、どちらが大切なのだろう。御言葉でなく、
自分が、人の言葉に振り回されていた事に気づく時に、平安が戻る。
「私たちの神のことばは永遠に立つ」絶えず御言葉を受け取り、御
言葉を握っていよう。御言葉を通して、人からの批判や目の前の状
況を見る時に、神視点で、人の言葉や状況を見ることができる。心
が神に向いているからだ。

今、平安が無いなら、心が辛く苦しいなら、神の言葉でなく、人の
言葉を受け入れていないだろうか。「人はみな草のようで・・」人の
言葉は草のようだと。草はしおれ、花は散る。しかし、御言葉は、
とこしえに変わることがない。聞く言葉と聞き流す言葉がある。永
遠に決して変わることのない、神の言葉こそ、絶えず目を向け、心
に受け取ろう。

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人の目を気にする、人に嫌われたくない、良く見られたいという強
固な根深い価値観がある。神の御前でなく、人の前に生きてしまう。
人の言葉に振り回され、平安を失う時、御霊の気づきが与えられ感
謝だ。何度も〃気づかされつつ、少しづつ変えて行って下さる。