2020年05月14日(木)

「しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った」ヨナ1:3


魚にのみこまれたヨナの箇所だ。ヨナは、敵地であるニネベへ行け
との、主の命令がどうしても気に入らなかった。そこで「主の御顔
を避けて」、船場に行くと、丁度そこに、ニネベとは反対のタルシ
シュ行きの船があった。渡りに船で、反対行きの船に乗り、主から
の示しであるニネベ宣教を拒否した。

すると嵐になり、ヨナは、嵐は不従順な自分のせいなので、自分を
海に投げ込むようにと言った。その投げ込まれた海中に、主は、大
魚を備え、ヨナを飲み込ませ、守られた。その中でヨナは主に向か
って祈った。魚の腹から出された後、今度は、素直にニネベに行っ
た。するとニネベの人々は、ヨナの言葉で悔い改めたので、主は災
いを思い直された。

それが又、ヨナには納得が行かず、受け入れられない。町を出て小
屋を作り、その陰に座った。どうなるか見てやろうとの態度だ。主
はとうごまで日陰を作られ、ヨナは喜んだ。だが翌日、虫でとうご
まは枯れた。焼け付くような太陽が照りつけ、ヨナは衰え果て「死
んだ方がまし」と死を願うほどだった。苦い思いから、とうごまで
機嫌が良くなったかと思うと、又、ぐったり衰え、死にたいと願う。

自分の姿だろうか。些細な事で一喜一憂し、信仰がアップダウンし、
グラグラ揺れる。うまく行けば大喜びし、少し行き詰まればひどく
落胆し、外的状況にころころ振り回される。外側の状況に反応する
のでなく、内側に確かな信仰、喜び、確信を持つ事が大切と教えら
れる。主はヨナを大きな深い愛で愛しておられる。

ヨナが御心をそれても、決して見捨てず、見放さず、尚も導かれ、
その愛は不変だ。この同じ愛で、すぐ御心をそれてしまう私たちも
愛されている。弱さをご存じでいて下さる。この主のもとに、弱い
ままいつも帰れるとは、何という安堵だろう。
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自分がどうであれ、神のご愛、恵みはいつも豊に注がれている事実
に今朝も感謝できる。どんな不信仰の中からも弱さのまま祈れる。
神からのとうごまの備えに幾度も心は慰められ満たされて来た。