2020年07月14日(火)

「いつまで御顔を私からお隠しになるのですか・・いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう」詩篇13:1



「いつまでですか、いつまでですか」と繰り返し、ダビデは苦しみ
を、率直に正直にあるがまま訴えている。この苦しみ、悩みはいつ
まで続くのかと。「私に目を注ぎ、私に答えて下さい」と求めてい
る。ここには、「いつまで〜」が4度も出て来る。ぎりぎりの瀬戸
際であった事だろう。

私たちは、順調に行っている時には、神に愛されている、祝福され
ている、守られていると思える。商売は繁盛、交通安全、受験は合
格、畑は豊作、家族は健康、夫婦円満、それなら祝福、感謝と思え
る。しかし受験不合格、畑は不作、リストラ、倒産、家族の病気、
経済的苦境の場合はどうだろう。祝福されていないと感じてしまう
だろうか。愛されていない、守られていないのだろうか。

しかし御言葉によると、訓練は神の愛だ。「主はその愛する者を懲
らしめ」愛しているからこそ、むちを加えると。我が子として扱っ
ていると。私生児は懲らしめない。懲らしめが無い方が問題で、心
配だ。先が見えない中で、信仰が鍛えられ成長する時だ。私たちも
今「いつまで〜」の状況だろうか。

対人関係や仕事、経済的悩み・・。そのままの気持ちをダビデのよ
うに、弱さのまま主に告げよう。主ご自身もゲッセマネで、弟子に
弱さを隠されなかった。死ぬほどの悲しみで一緒にいて欲しいと。
私たちも弱いまま、率直に祈れる。祈りの後、ダビデは「救いを喜
びます。主に歌を歌います。主が豊かにあしらわれたゆえ」と大き
な喜びと平安に変えられている。
------------
目的をもって訓練を与えられる主は、苦しみも与えられるが、その
苦難の中にいつも共にいてくださる。試練を抜ける時にはっきりと
わかる。主にしがみつきダビデのように祈ろう。