2020年09月13日(日) 「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あ なたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に 帰らせる」エレミヤ29:10
「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あ なたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に 帰らせる」エレミヤ29:10
民がバビロンの地に連れ去られた、バビロン捕囚は、その事だけを 見れば、この上ない悲惨な、絶望的な事態であった。しかし結果的 に見れば、民は捕囚によって悔い改め、神に立ち返る事ができた。 信仰の回復がなされた。70年後にエルサレムに帰還させるとの、主 の約束も成就される事になる。奇跡がなされた。 「あなたがたのために立てている計画」・・バビロン補囚が「神の計 画」だと言われる。見えるところ絶望と挫折と混乱であったが、主 にとっては、平安と将来と希望のための計画であった。主は私たち にとっては不都合、マイナス、あってはならぬ事、行き詰まり、そ のような事態を引き起こされ、主の意図される方向へ導いて行かれ る。 そしてそれは、実は「あなたのため」の計画だと言われる。綿密に 計って立てられた、あなたの益とあなたの将来のための出来事だと。 目の前の事は痛い、苦しい、辛い事かも知れない。しかし、実は最 善がなされている。痛い所を、苦しみを通って初めて、真に神に出 会う。 人は、自我の固い殻におおわれている。痛みや苦しみによって、そ の自我の殻が砕かれる。へりくだらされる。高慢すら自分でわから ない。苦しみの中で、初めて自分の姿を知らされる。苦しみは喜び へと通じている。苦しみにあった事は幸せだったと必ず言える。 ・・・・・・・・・・・・ 七十年後、バビロンから帰らせると。試練には、定められた期間が ある。民は、試練により主に立ち返れた。試練は痛くて、自分では 望まないが、試練により沢山の事を教えられ、学ばされ祝福とされ て来た。「後になると」平安の結実に、どんな時にも希望がある。