2020年11月13日(金)

「遊女におぼれてあなたの身代を食いつくして帰ってきたこのあな たの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか」ル カ15:30



家を出、放蕩した弟息子が、すべてを失った時、我に返った。そし
て父のもとに帰って来た。毎日、息子を待ち続けていた父は、大喜
びで彼を抱き、口づけした。喜び祝おうと宴会を開いた。「死んで
いたのが生き返り」と、息子は死んでいたと言い、その挫折、孤独、
痛み、うちひしがれた心をわかっていた。父の心は愛と慈しみで溢
れ返っていた。

しかし兄は、行方不明の弟が戻った事を喜ぶのでなく、激しい怒り
が沸き上がる。家に入ろうともしない。好き放題をして戻って、宴
会などと有り得ないと抗議する。兄は「私はお父さんに仕え、戒め
を破ったことは一度もない」と自分を義とし、弟を見下し裁く。

ある人が、罪がなかなかわからなかった、と証しした。真面目に懸
命に努力し、生きて来た。周囲の人へも親切にして来たつもりだ。
皆に良い人と言われた。しかしメッセージで兄息子の事を聞いた時
に、自分の姿が映し出された。

口にも態度にも出さないが、出来ない人々を、努力しないからと見
下していたし、道をそれる人の事は自業自得と冷ややかに見ていた。
自己中心で高慢で、愛など無かった。自分が、人によく思われたい
がための善行だった。兄はずっと父と一緒にいたが、その心には愛
も喜びも平安も無かった。兄こそが問題児だった。兄息子の姿に、
自分の罪がわかった瞬間だった。

父は、兄をも全く責めることなく「私のものは全部お前のもの」と
兄を慈しんでいる。主に仕える事が、義務に、重い事になっている
なら、今一度、父の愛に立ち返ろう。

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御霊によらず、自分の力で歩むと、外向きはこなせても、内側は愛
が無く、喜び無く、満足が無く、不満と鬱屈となる。しかし御父は
一緒にいるよと言われ、御父の心は、愛とあわれみでいっぱいだ。
どんな時も御父を仰ぐ時、慈しみ、抱いて下さっている事を知る。