2022年02月11日(金)

「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て 食べてしまった」マタイ13:4



偏見について教えられる。私たちは青いセロファンを通して、景色
を見ると青色に見える。又、赤いセロファンを通して見ると赤色に
見える。同じ景色なのだが、違う色に見える。私たちは、無意識に
も自分色のセロファンで世界を見ている。自分の偏見と思い込みで
見ているなら、幾ら見ても、そのようにしか見えない。

ある人が、聖書の学びを続けていたのだが、幾ら学んでも、よくわ
からない。聖書を学ぶ事は嫌でなく、拒否反応があるわけでも無い
が、わからなかった。そんな時、種蒔きのたとえを聞き、自分は道
ばたの土地だと思った。偏見や自分の強い思い、価値観があり、そ
れが固くて、種を弾いてしまって、心に入れないのだと。

培われたこの世の価値観や、進化論や諸々・・。それで、もうそれ
はそれとして、一旦横において、聖書はどう言っているのかを聞く
事にした。祈ってそれを続けていた時に、不思議が起きた。御言葉
が心に響いて来るのだ。あんなにわからなかったのに、心にすんな
りと受け止める事ができて、主に出会う事ができた。

自分の偏見や思い込みは、すでにそれが前提になっているので、な
かなか気づきにくい。しかし自分はどうだろうとへりくだって、顧
みる時に御霊が気づきを与えて下さる。良質の種である御言葉はあ
るのだが、土地が固ければ、種が植わらず、結実が望めない。気づ
きから成長は始まる。
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日々の通読も、するすると流してしまう御言葉には、何か心に入れ
ようとしない固い土が弾き返しているのかもしれない。出来ないな
ら、主よ私には出来ませんと祈れる。御言葉に素直に向き合いた
い。