2022年04月13日(水) 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てる ことができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿 をとり、人間と同じようになられたのです」ピリピ2:6
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てる ことができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿 をとり、人間と同じようになられたのです」ピリピ2:6
アダムがエデンの園で罪を選択した結果、罪はプライドの形をと り、 人はプライドで生きるようになった。男性は自分の仕事や地位に高 いプライド、野心を持ち、母親は子供に夢を託し、子供により自分 のプライドを満たそうとする。 又、対人関係で、プライドとプライドがぶつかり、トラブルとな り、 妬み、憎しみが湧き上がる。ある女性は、同僚に嫌な思いをしてい た。会合では、とにかく自分の意見に反対する。何かと自分に攻撃 的で、きつい態度で、一応は礼儀正しく応じているが、嫌で嫌でた まらなかった。 内心は、カチンと来て、怒りが沸くが、自分はクリスチャンであ り、 どうすればよいのか。主の御前に行き、祈った。状況も気持ちも祈 り、御前に静まっていた。その時に、主の十字架が、主のへりくだ りが、迫って来た。神のあり方を捨て、ご自分を無にされて仕えら れた。何という事だろう。自分は何ほどの者か。 「私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子」こんな 私のために、ご自身を捨てられた。驚くべきことだ。主のへりくだ りを示され、確かに相手は理不尽だが、自分も愛の無い冷淡な心を 見せられた。よくよく祈り、翌日、仕事上で確かに助けられている ので、感謝を告げた。 主が働かれ、相手が何か感じた事がわかった。距離が縮められて行 き、やがて親しくされた。主のみわざだった。複雑な生い立ちを話 してくれた。相手を理解でき、こちらも証しの機会が与えられた。 主に従うことの祝福を教えられた。 ------------ どこまで行っても自分の感情が全てで、正しいと感情に支配されて しまう。そんな者のために主は十字架についてくださった。主を仰 いでいこう。