2022年05月14日(土)

「それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであ ったことがわかります」ヘブル3:19



イスラエルは、主がカナンに導くと約束をもらっていながら、入る
事が出来なかった。不信仰のゆえだった。導き入れるとの、主の約
束を聞きつつ、信じる事が無かった。「もし御声を聞くならば・・心
を頑なにしてはならない」のように、御声を聞くなら信仰をもって
受け入れる事が大切だ。

語られた御言葉を無視し、ないがしろにするなら、心はそのままで
なく、ますます頑なになって行く。私たちはどう聞いているだろう。
当時も、主の言葉を聞く人の態度は様々だった。受け入れる人、好
奇心だけの人、反発する人、傍観する人・・。又、喜んで聞くが、自
我の岩にぶつかると、御言葉を捨てて、自分の思いの方を取るだろ
うか。

そんな心が砕かれる必要がある。頑固な心が砕かれる時、柔和にさ
れる。砕きは祝福だ。御声を聞く時、主の言葉を、そのまま受け止
め、信じて行く事が信仰だ。この世は、目に見えるもの、手でつか
む事のできるものを確かなものとし、信じる。私たちは、目には見
えないが、御言葉を真実なもの、確かなものとする。

そして、その語られた御言葉を、行なってゆく事が肝心だ。実行し
て行く時に、初めて御言葉が身につき、そして必ず豊かな実を結ん
で行く。私たちはどうだろう。ただ聞いて通り過ぎているだけだろ
うか。心して受け止め、今、目の前の御声に一歩従おう。

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カナンへの約束を信じずに、荒野で滅んでしまったイスラエル。不
信仰は主の言葉を否定し、嘘だという事にしてしまう。不信仰をあ
りのまま認めて、主に助けを求めよう。「信じます。不信仰な私を
お助け下さいさい」と、子どもが癒された父親のように。