2022年07月13日(水)

「祈っているとき、だれかに対して恨み事があったなら、赦してや りなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたが たの罪を赦してくださいます」マルコ11:25



祈る時、すでに受けたと信じて祈るように言われている。信仰によ
り祈るなら、素晴らしい約束が与えられている。祈った通りに得る
と。だが、次が続いている。「誰かに恨み事があったら赦してやる
ように。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがた
の罪を赦して下さると。

赦す事が強調されている。赦さない心は、まず祈りをしゃ断してし
まう。赦せない思い、恨みや憎しみがあると、祈れなくなってしま
う。主があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦
すようにと、言われている。

私たちは、しょっ中、失敗する者だ。しかし主は、常に豊かに赦し
て下さっている。罪を犯さないのではなく、罪は犯してしまうが、
赦されて赦されて生きている。赦されているのだから、私たちも赦
すべきだと。でなければ、主と私たちの間に、へだたりができてし
まう。そのため確信をもった祈りができない。

あなたも経験あるだろうか。ある人が、切実な必要があり、神の御
前に出て祈っていた。だが、幾ら祈っても答えが与えられない。す
ると祈りの中で、ある人に対し、恨みと敵意、苦々しい思いを持ち
続けている事を示された。これが祈りを妨げている事がわかり、御
前に心から悔い改めて、赦した。赦す事ができた。

その後、見事に祈りの答えを見たのだった。赦さない心は、祈りを
さえぎってしまう。答えを受け取るために、隠れた恨み、赦さない
心がないか、御霊に探って頂こう。その時、悔い改めることができ
る。又、赦すことができるよう、助けを求めて祈ることができる。
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どうか祈りを聞いてくださいと祈り、また様々な罪の赦しを祈る。
赦せない思いが顔を出すときは、赦せるようにと祈る機会ではない
か。ご誠実な主との信頼関係の中で祈りたい。