2022年09月13日(火)

「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでし た。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけ られなかったからです」ヘブル4:2


ヘブル書に「あなたがたの先祖たちは、わたしを試みて証拠を求
め」とモーセに率いられた民の例が出てくる。約束の地カナンに入
るために、苦難のエジプトを脱出できたのに、40年間荒野をさまよ
った。そのあげく、約束の地に入れずに、20歳以上の者達は皆、荒
野で滅んでしまった。ヨシュアとカレブと新世代だけが、約束の地
に入った。

民達は皆、エジプトでの災害の奇跡と紅海が分かれた大奇跡を目の
当たりにした。何も無い荒野で水が湧き、マナやうずらが降る奇跡
を見、雲の柱や火の柱、様々な奇跡を見た。見たにかかわらず、尚
も神を信じる事をせず、約束の地に入る事を拒否した。そんな民達
を教訓とするように警告している。

彼らは神の言葉を聞いていた。主が乳の蜜の流れる地へ導き入れる
という良き知らせを聞いていた。だが、その聞いた言葉が「信仰に
よって」結びつけられなかったため、何の益も無かった。斥候の言
うカナンの強敵について聞いた時に、神を信じる事が無かった。

せっかく苦難のエジプトから救い出して下さったのに、神への信仰
がなく、自らの不信仰のゆえに、荒野で死んでしまった。私達は主
の御声をどう聞いているだろう。受け止めずに、右から左へと聞き
流しているだろうか。拒んでいるだろうか。

主の愛から発した、主の真実な言葉だ。その一言一言に向き合い、
受け止めて、従えるように祈ろう。出来ないなら、そのように助け
を求めて祈ろう。従えるように助けて下さる。
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多くの困難から助け出されたのに、すぐに忘れてまた思い煩ってし
まう。何と不信仰な者だろう。着物はすり切れず、足ははれなかっ
たではないか。信仰をもって主の御言葉を聞き続けよう。