2022年11月13日(日) 「・・あなた方の敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽 くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Tペテロ5:8
「・・あなた方の敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽 くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Tペテロ5:8
主は、今まで愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところなく、 最後まで示された。自分のものを「極みまで愛され」「愛し通され た」。それで、主は、手ぬぐいを腰にまとわれ、かがんで弟子たち の足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろう事を知 った上で、ユダの足を洗われた。ユダをも最後まで愛し通された。 主が捕らえられた時に、ペテロも主を裏切った。3度も誓い「あん な人を知らない」と。そしてペテロの裏切りは有名だが、弟子たち も皆、イエスを裏切り、見捨てて逃げ去った。これから起こるであ ろう事態もわかった上で、主は皆の足を洗われ、尚かつ極みまで愛 された。 しかしながら、ユダとペテロは大きく違っていた。ユダは後悔した が、悔い改めはなく、主のもとへ行かず、どこまでも主に頼らず自 分で片をつけた。ペテロも後悔したが、主のもとにとどまり、すぐ に悔い改めた。他の弟子たちも、復活の主のもとへ戻って来た。そ して「ユダにサタンが入った」とあるが、悪魔は勝手に入れない。 ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に悪魔に心を開いて受け入れて行っ た。主はユダを極みまで愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自 分の思い描いていた主と違ったのだろうか。主のそばで3年間、御 言葉を聞き、主のわざも見た。御言葉も知った上で、自分が選んだ まさしくユダの意志だった。ペテロは後に「身を慎み、目をさまし ていなさい」と。悪魔を警戒するようにと、自分の経験から語って いる。目を覚まし、主に拠り頼み、祈っていよう。 ・・・・・・・・・・・ 大きな失敗、小さな失敗、どうしても失敗はしてしまうが、すぐに 主のもとへ行き、悔い改めよう。そのための主の十字架だ。赦して 下さる。ユダは、主のもとへ行く事をしなかった。どこまでも主に 頼ろう。赦されるたびに、主の愛を更に知って行く。