2022年12月14日(水) 「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行な ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないの か」民数記14:11
「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行な ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないの か」民数記14:11
カナンの地へ斥候に出た12人の内、10人は不信仰に陥った。不信仰 になると、恐れに支配され、相手が巨人に見え、自分はいなごに見 える。城壁は巨大で、人々は強く、食い尽くされそうだ。自分たち は弱く、小さく、とうてい太刀打出来ない。無理だ。自分は惨めで 、消え入るばかりで、素晴らしい主の約束の地は何も見えず、恐れ と不安、恐怖、すべてが後ろ向きだ。 斥候の10人は見て来た事を「悪く」言いふらし、民を扇動した。民 は、双方の意見を聞いたが、否定的、不信仰な方を受け入れた。不 信仰を選択したのだ。民は大声で叫び泣き明かした。あの苦難のエ ジプトの方が良いと、モーセとアロンへの怒りが噴き出す。神はこ の地に連れて来て剣で倒そうとするのかと。 約束の地を前にしてまで、悪意の神とする。不平不満と愚痴、自己 中心の心には、主の御心が何一つ見えない。新しいリーダーを立て て、何とエジプトへ帰ろうと言い出す。堅く信仰に立つ、カレブと ヨシュアを殺そうとするのだった。不信仰になった彼らは皆、約束 の地へ入れず、荒野で滅ぼされてしまった。 不信仰でなく、「信仰」を選択しよう。「御言葉」に立とう。カレ ブは約束を堅く握っていた。だから「上って行って占領しよう、必 ずできる」と言えた。彼らは私たちのえじきになると。彼らの守り は取り去られている、主は共におられると。 信仰と不信仰はこんなにも天地の差があり、正反対になってしま う。私たちを極みまで愛し、慈しみ、心配して下さっている主を、 信じて行く者とされるよう祈ろう。 ------------ 荒野にあって求めるものは与えられ、守られて来たのになぜ信仰に 結びつかなかったのだろう。世の様々なことに一喜一憂してしまう が、その都度主の側に立ち、御言葉を選択したい。