2023年02月11日(土)

「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」ルカ18:13


パリサイ人と取税人が、祈るために宮に来た。パリサイ人は、心の
中で「他の人々のように、ゆする者、不正な者、姦淫する者でなく、
ことに取税人のようでない事を」感謝した。神に感謝を献げたのだ
が、実際は神の御前にいない。見ていたのは「他の人々」であり
「取税人」だった。

パリサイ人はゆすらず、不正せず、姦淫もしない、正しい人だった。
だが、誰しも表向きは立派でも、心の中は罪だらけだ。あの人、こ
の人より自分はましと、人との比較に自分を置く時、自分の罪深さ
が見えなくなる。逆に優越感でいっぱいになり、人を見下して行く。
神の光の中でなければ、罪は見えない。光に照らされて初めて、自
分の罪がわかる。

取税人は、自他共に認める罪人であった。わかっていて税金を搾取
していた。遠く離れて立ち、目を天に向けようともしなかった。人
との比較など思いも及ばず、神の御前に、ただただ自分の罪が見え
て、自分の罪深さが見えるばかりだった。パリサイ人も目に入らず、
自分の胸を叩いて「こんな罪人の私をあわれんで下さい」と祈った。

ただ神のあわれみを求めた。この取税人の祈りは聞かれ、罪赦され
義と認められて家に帰った。平安と喜びに満たされた事だろう。こ
の箇所を知るや、今度は、自分はパリサイ人のようでない事を感謝
しますと、思ってしまいそうだ。が、こんな罪人の私をあわれんで
くださいと、どんな時でも祈れて、主の血潮のゆえに、耐えず御前
に近づける事は何と恵みだろう。

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罪を犯してしまう、何も出来ない者が、ただただ主のあわれみに
すがる、それを信仰だと言って下さる。何と感謝な事だろう。逆に
自分は正しいと、自己正当化している時に、どうか御霊が気づかせ
て、導いて下さるように。