2023年05月14日(日)

「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってくださ い。」詩篇141:3



御言葉にある。「互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄
弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律
法をさばいているのです」の通り、悪口は罪だとわかりやすいが、
うわさ話は、軽く見てしまう。だが悪口と共に、うわさ話は、本人
不在の中で、陰で言われる陰口だ。ということは、もし間違った情
報であっても、本人は訂正できないし、反論もできない。

であれば、事実は確かではないのだから、そのまま受け入れるのは
どうだろう。又、そのうわさ話の自らの「動機」は何だろう。「動
機」を見る事は大切だ。その人の利益だろうか、その人を建て上げ、
励ます事になるだろうか。それとも不利益だろうか。ある説教者が
言った。「うわさ話は、三者を傷つける。言う人と、聞く人と、言
われている本人を」。

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません」「たきぎが
なければ火は消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはや
む」と。有害なうわさ話が来たなら、自分の所で止めることができ
る。広めない事ができる。雑談が、無益なうわさ話の方向に行くよ
うなら、進路変更して行くことができる。

もし自分がその人の立場だったら、どうかを考えよう。「軽率に話
して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人を
いやす」。御霊の助けにより、舌が人をいやすために用いられたら、
どんなに幸いだろう。くちびるの戸が守られるよう祈っていよう。
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舌は両刃の剣だ。殺すことも、生かすこともできる。悪い言葉は
人を深く傷つけるし、励ましや慰めの言葉は人をいやし、勇気づけ
る。言葉は心から出て来るので、心が御霊に導かれ、御霊の支配に
ゆだねて行けるよう祈ろう。