2023年06月13日(火)

「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのも のです・・」ヨハネ11:4



ラザロが危篤で、マルタは使いを主に送り「病気です」と伝えた。
それさえ一言伝えれば、主はすぐに来て下さると思った事だろう。
しかし主は、「この病気は死で終わるたけのものでなく、神の栄光
のためのもの」と言われ、尚、二日とどまり、ラザロの死を確認し
てから動かれた。家に着くと、マルタは「もしここにいて下さった
ら、兄弟は死ななかった」と。

マルタは将来のよみがえりは理解しているが、今、主がラザロをよ
みがえらせるとは信じていない。病気を治す事は信じられるが、死
からのよみがえりは、到底信じる事ができない。マリヤもマルタと
同じ言葉を言った「ここにいて下さったら、兄弟は死ななかったの
に」と。いっさいを断ち切ってしまう「死」の前には、絶望であ
り、泣くしかなかった。

しかし「あなたの兄弟はよみがえる」と言われた主は、ラザロの墓
の前で「石を取りのけよ」と。死後四日になり、もう腐敗している
と言ったマルタだが、主に従い、言われる通りに、墓の石を取り除
けた。信仰が行動となった。すると、ラザロはよみがえった。

ラザロのよみがえりを通して「わたしは、よみがえりです。いのち
です」と、主ご自身が死に勝利されている事をあらわされた。その
ため病気のいやしでなく、死でなくてはならなかった。それは「神
の栄光のため」「神の子が栄光を受けるため」であり、「あなたが
信じるようになるため」であった。
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病は癒えてもやがてこの世の死は訪れるが、主を信じている者は死
からいのちに移っている。喜びをもって今日を生き、望みをもって
死を迎える。何という感謝か。