2023年07月14日(金)

「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。 」出エジプト25:8 



創世記では、ヨセフが宰相となり、一族を飢饉から救ったが、出エ
ジプト記は、ヨセフを知らない新しい王が、民を苦しめるところか
ら始まる。民は苦役にうめき、叫び、その叫びは神に届く。そして
記事の最後は「主の栄光が幕屋に満ちた」と終わる。主は幕屋を作
るように命じられた。

「わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」と。
それはアロンとアロンの子たちを祭司として任命し、聖別し、その
所で、罪のための全焼のいけにえを献げさせるためであった。律法
を与えると同時に、律法が示す罪への解決、罪のための贖いを備え
られた。そして幕屋は、彼らの間に住むために与えられた。

主が、民の間に住むことが、民を苦難のエジプトから救い出された
目的だと言っている。「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼
らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者である
事を知るようになる。わたしは彼らの神、主である」と。苦難の地
から出されたのは、主が民と共に住むためであった。

新約では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」そして
「この方の栄光を見た」と。また「わたしにとどまりなさい。わた
しも、あなたがたの中にとどまります」、「わたしはぶどうの木
で、あなたがたは枝」と。「とどまる」=「住む」、主と一つであ
ると。

そして将来の私たちの最終的行き先、新天新地で「見よ。神の幕屋
が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」
と。エジプトで苦役の奴隷の民、つまり罪の奴隷の私たちが救い出
され、主が共に住まわれる。何という光栄、喜びだろう。
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備えられている御約束はどれほど力強くまた偉大であることか。新
しい契約によって主は今、私たちと共にいてくださり、新しい天地
が現れる日には神の幕屋が人の間にあって共に住まれる。もはや死
も悲しみもない。