2024年02月12日(月)

「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひ とりの王を立てよ。』」Tサムエル8:22


イスラエルの民が、サムエルに自分たちに王が欲しいと、自分たち
の王を求めた。これは主の御心に反した事であった。主は、彼らに
厳しく警告し、王の権利を彼らに知らせよと。しかし民はそれらを
聞いた上で、尚且つどうしても王が欲しいと。その時、主は、民の
声を聞き入れよと言われた。

サムエルを退けたのではなく、主を退けたのだと。民は王を求め
て、主に逆らい、主を退けたのだ。民は、王の強権のもと奴隷にな
るだろうと。そしてその時に主の助けを求めても、主は答えて下さ
らないと。主は、どうしてもと言い張る民に、王を立てられた。私
たちもしばしば、自分が肉で計画した事がうまく行き、画策通りに
なる時に、これは主が成功させて下さったと勘違いする。

主が認めて下さったものだと思い込みたい。だが、それは大きな誤
解だ。私たちが頑なに、どうしても行くといって聞かないので、主
は、自分勝手な道を行く事を許された。どれだけ止めても、忠告し
ても聞かない時、行かせられる。そして、自分がした事の結果を刈
り取らせられる。苦い刈り取りになる。その刈り取りを訓練とし、
学ばせられる。自我を通すことが、いかに愚かであるかを身をもっ
て知る。

蒔いたものは必ず刈り取る。例外はない。肉のために蒔くと、必ず
苦しい刈り取りがある。今、自分の道に行こうとしているなら、立
ち止まろう。方向変換して御霊に従おう。御霊に蒔くなら、大きな
祝福を刈り取る。主の栄光が現わされる。どんなに感謝な事だろ
う。
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肉の性質は強く私たちは弱い。慎重に主の御心を祈り待つことより
自分の願いを優先させてしまう。強い思いをいったん主に委ねて、
吟味してみよう。迷いやすい者を主は守り導いてくださる。