2024年07月14日(日)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。 労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34


あなたも、心配症だろうか。あれやこれやが心配でならない。不
安は不安を呼び込み、幾ら大丈夫だと言われても、不安が泉の
ごとく噴出して来て、どうにもならない。あなたも経験があるだろ
うか。周囲から、どんなに大丈夫だからと励まされても、どうして
もだめなのだ。

頭ではわかるのだが、どうにもならない。主はそれもご存じで、
「今日」を考えてごらんと、言われている。今日、今、何か不足が
あるだろうか?常に、今日は、必要が与えられている事に、気
づかないだろうか。その「今日」の連続が一生だ。果てしない明日
を、その連続である未来を、心配し恐れるより、まず今日、満たさ
れている事に感謝してはどうだろう。

独り身の熟年婦人が、リストラ後の仕事がなかなか無かった。祈
っていると、「だれが心配したからといって、自分のいのちを少し
でも延ばすことができますか」の御言葉が、心に迫り、心が定まり、
心の底から納得できた。平安が与えられた。その通りで、心配や
不安、思い煩いが、何かを成し遂げるだろうか。全く有り得ない。

それどころか、今日、飢えていない。すべての必要が与えられてい
る。弱いはずの身体も支えられている、何と感謝な事だろう。「今日」
を心底感謝していると、喜びが溢れ、将来の不安、煩いが無くなった。
「不安が全く無いのです」と。明日は委ねて、とにかく今日は、感謝
ではないだろうか。主に目を向けて、そこに立とう。

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「明日の心配無用」とは、何という恵みであり、溢れる感謝な事だ
ろう。御言葉をかみしめ、心で握る時、明日の心配がストップし、
消える。毎日、明日はゆだねて、「今日」を生きて行ける。すると
沢山の恵みに気づかせられる。