2024年08月13日(火) 「御霊によって歩みなさい・・なぜなら、肉の願うことは御霊に逆ら い、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて・・ 自分のしたいと思うことをすることができないのです」 ガラテヤ5:17
「御霊によって歩みなさい・・なぜなら、肉の願うことは御霊に逆ら い、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて・・ 自分のしたいと思うことをすることができないのです」 ガラテヤ5:17
ある人が、バイトの対人関係で、相手の言葉にひどく傷ついた。悪 意では無いと思おうとしたり、様々考えるのだが、言葉自体は、心 に突き刺さった。月数回のバイトで、普段は会わないのだが、痛み が根深く心に残った。しかし自分はクリスチャンであり、赦して愛 すべきでは。だが、どうしても出来ない、無理で、苦しい。 明日は出勤という夜に、余りに辛くて祈りに持って行った。主の御 前に心を広げ、主と交わり、心の思い気持ちをことごとく告げた。 その中で、相手への恨み、憎しみ、怒り、さばく思いがある事を、 認めて、御前に悔い改めた。そして自分ではどうも出来ないので、 御霊によって導いて下さるようにと、主にゆだねた。 「御霊によって歩みなさい」とあり、御霊こそが、肉に打ち勝たせ て下さると。自分の力では、赦すことなど不可能だ。それは、肉と 御霊の願う事が、全くの正反対で、肉は恨み続けていたいし、御霊 は赦して愛される。その二つの狭間で、がんじがらめになるからだ と。だが、御霊によって歩むなら、「肉の欲望を満たすことは決し てない」と御言葉は断言する。 ゆだねた後、あんなに苦しかった気持ちが楽になり、平安になって 驚いた。翌日出勤し、昼に食堂でバッタリ相手に会った。御霊の導 きを感じた。挨拶すると、ひとしきり会話になり、何と共通の話題 で盛り上がり、心楽しかったのだ。今度食事にと誘われ、快諾し た。御霊による事を、知らされた経験だった。 ----------- 肉は憎い相手はどこまでも憎く、近づきたくないが、御霊によって 歩む生活が確かにあると主は言われる。祈り、自分の思いに固執せ ず自由にされ、て与えられた御霊に従いたい。