2024年10月14日(月)

「すると突然、主の使いが現われ・・ペテロのわき腹をたたいて彼を 起こし、『急いで立ち上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の 手から落ちた」使徒12:7


ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようと、ヤコブを剣で殺
害した。それがユダヤ人に、気に入られたのを見て、次にペテロを
捕らえた。ペテロは投獄され、二本の鎖につながれ、二人の兵士の
間で寝ていた。しかし何と引き出される日の前夜に、突然、主の御
使いによって、牢から救い出された。

「教会は、彼のために、神に熱心に祈り続けていた」、教会ではヤ
コブの時も、ペテロの時も同じように熱心に祈った。その結果ヤコ
ブは処刑され、ペテロは救い出された。何が違うのだろう?これは、
ヤコブとペテロそれぞれへの神のご計画であり、召しによる事だっ
た。ヤコブは殉教によって、神の栄光を現わし、ペテロは更なる宣
教の使命があり、それにより神の栄光を現わす事となる。

ヘブル11章に、ある人々は「ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、
剣の刃を逃れ、強くされ、戦いの戦士となり、陣営を陥れた」とあ
り、奇跡に次ぐ奇跡により前進して行った。そして同時にある人々
は「牢に入れられ、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺さ
れ、乏しくなり、苦しめられ」と、殉教して行った。

見えるところは、全く違うが、どちらもが「信仰によって」歩んだ。
私たちも、一人一人に備えられた神のご計画が全く違う。そのため
隣との比較ができない。主から自分に与えられた人生、自分に委ね
られた御心を全うする事が、一番の喜びと平安の道であり、幸せの
道だ。
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私達へのご計画と御心が、十分に成されるよう祈り、主に自分自身
を明け渡していこう。隣を見ても一人として同じ境遇の人はいない
ように、主に与えられた自分の信仰生活を感謝しながら全うしたい。