2024年11月13日(水)

「主はサタンに仰せられた。『では、彼のすべての持ち物をおまえ の手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない』」 ヨブ1:12



ヨブが、一夜にして子供たち全員を失い、財産、家財すべて失った
時の言葉が、「主は与え、主は取られる」だった。そして主の御名
はほむべきかなと。「主は与えられる、主の御名はほむべきかな」
とは、誰でも言えるが、「主は取られる、主の御名はほむべきかな」
とはなかなか言えない。神はいじわるだ、私から奪い取る、どこが
愛なんだと言いそうだ。

ヨブは、これらすべてが、子どもたちも、しもべたちも、家も、家
財も、主から出ていると、はっきりと認めた。それは、主の絶対的
主権を認める告白だ。その上で、主の御名はほむべきかなと、主を
称え崇めた。この事には舞台裏があって、悪魔が、主にヨブを中傷
した事が出て来る。人は、利得も無いのに神を信仰などしない、利
益があるからこそだと。

そこでヨブの信仰をご存じの主は、彼の持ち物を取る事を許された。
しかしヨブの態度と言葉は、その悪魔の中傷と、神への訴えを無力
なものとした。この世界には、利得でなく、神が神であられるゆえ
に信じて行く信仰が存在するという事を、ヨブは証明したのだった。
神は愛なる良いお方で、私たちに最善しかなさらない。どんな時に
も、そこに立とう。

なかなかできないので、それを祈って行こう。私たちの生涯が、神
が神であられるから、神を崇めて行くことを証しして行けるとは、
何と幸いだろう。難しければ祈ろう。少しづつ〃主は、私たちの手
を取って、わかるように教え、導いて下さる。
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ヨブのように激しい試みにしっかり立っていられなくても、与えら
れた困難を受け止められるよう、正直な思いを祈っていこう。瞬間、
瞬間の祈りで平安を受け取ろう。必ずふさわしい思いに導かれる。