2025年02月11日(火)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、 あなたがたの道と異なるからだ・・」イザヤ55:8



主の御心は、時に自分の願いや期待とは異なり、それも非常に異な
ることがある。自分の強い願いである進路を、祈り求めるが、その
切なる願いにかかわらず、目の前で道が閉ざされる。その時は、願
いが断ち切られたようで、辛く悲しい。「なぜ?どうして?」と思
う。しかし、主が下さるのは「良いもの」だ。必ず更に良い道、ふ
さわしい道が備えられている。

神の道は、自分の思いとは大きく異なっている。今まで、振り返っ
てみてどうだろう。願いが断たれたが、更に良いものを与えられて
来たし、これからも同様だ。又、病気のいやしを求めて祈る時に、
それが御心ならいやして下さり、又、御心なら病気のいやしでなく、
心に平安を与えて下さる。その病の中で、御霊の平安と喜びが与え
られ、感謝しつつ生きて行けるようにされる。

身体でなく、心の方に奇跡をして下さる。パウロとシラスは、捕ら
えられ投獄された。主は、投獄を免れさせる事もできた。しかし、
むち打ちの上に、更に投獄という苦しい状況の中で、状況を変える
のでなく、彼らの心に喜びと平安を与えられた。「パウロとシラス
が神に祈りつつ賛美の歌を歌っていた」。その事で、周囲に大きな
証しとなり、看守家族の救いへと導かれた。

私たちの思いと神のみ思いは異なるが、確かな事は、常に最善のも
のを与えて下さることだ。そして、神は愛であり、善い方だ。最善
しかされない。主のお心を信じよう。思い通りでない事態を、受け
止めて行けるよう祈ろう。
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今、思い通りではないのは、別のものや別の時に神の最善があると
いうことだ。落ち込まず続けて信仰を持って祈っていこう。そして
平安の中で最善の神の道を求めて行こう。