2025年04月12日(土) 「立って、父のところに行って、こう言おう。『お父さん。私は天に 対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました』」ルカ15:18
「立って、父のところに行って、こう言おう。『お父さん。私は天に 対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました』」ルカ15:18
弟息子は、父親の財産の生前贈与を要求し、父親を足げにし て、家を出た。窮屈な父親のもとが嫌で、好き放題をしたかっ た。放とうの限りを尽くし、湯水のように金銭を使い、ついに一 文無しに。これでは餓死してしまうという状況で、使用人にも愛 深い父親を思い出し、とにかく帰ろうと決心する。 父親が「息子は、死んでいたのが生き返り」と言い、死んでいた 息子が生き返ったと。つまり彼は家を出る以前、父のもとにい た時からすでに死んでいた。心は、父から離れていた。父は常 に息子を愛して来たが、一緒に暮らしていても、息子の心は父 には無かった。それがわかっていた父は、息子のしたいように させた。息子は好き放題をし、身を滅ぼすまで行った。なすす べなく、どん底で我に返った。 その時、父のもとへ帰ろうと決心した。私たちもどうだろう。御 父のもとを離れて、自分の思いを通してしまう。好きにしたくて、 欲望を遂げる。自我は、誰にも邪魔されず、自分の思い通り にしたい。罪を犯すと、なかなかすぐに御父のもとに帰れない。 少しましになってから帰ろうと思う。しかし御父は、何を喜ばれ るのだろう。我が子が「帰る」ことだ。 父は、子が帰ることをひたすら忍耐し待ち続け、姿を見るや、 父の方から走り寄り、抱き口づけした。父は、ただただ待つ。 力づくで連れ戻しに行かず、説教もせず、ただ待つ。私たちは 何度も主を離れる。しかし、私たちの弱さをご存じだ。何度でも 立ち返ろう。御父はずっと待っておられる。立ち上がって、父の もとへ行こう。喜び迎えて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神の愛は、無条件の愛だ。父は、放蕩した息子が、帰ったこと を無条件に喜んだ。父の方から走り寄り、抱いた。息子は謝罪 の言葉を練習していたが、この時、父の愛に触れ、心からの真 の悔い改めが起きた。窮地は、真に神に出会える時だ。