2025年09月14日(日)

「ああ、あなたの信仰は立派です。その願いどおりになるように」 マタイ15:28



異邦人の母親がいて、その最愛の娘が悪霊につかれていた。必
死の思いで、主に助けを叫び求めた。「主よ。ダビデの子よ。私を
あわれんで下さい」。心底からの切なる叫びに、主は答えて下さる
と思う。だが主は、一言も答えられなかった。沈黙され、母親は無
視された状態だ。しかし彼女は決して諦めず、尚も叫び続けた。弟
子たちは見ておれず、主に、帰して欲しいと願った。

すると「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わされてい
ない」と。彼女はそれを聞いて「ダビデの子」を抜いて、更にひれ伏
し、求めた。カナン人はイスラエルではない。「ダビデの子よ」と言う
資格は無い。彼女は引き下がらず、尚もへりくだり、正しい位置に
立った。すると主は「子どものパンを子犬に投げてやれない」と言
われた。

何と冷淡なと思いそうだが、実は、主は彼女を、尚も導いておられた。
彼女は、更にへりくだった。「主よ。その通りです」と小犬である事を
認め、しかし「小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」
と求めた。主はあわれみにより、いやして下さると堅く信じたから、決
して諦めなかった。小犬がもらえる恵みを求めた。

その時、娘はいやされ、彼女の願いは聞かれた。主は彼女の「立派
な信仰」に驚かれた。主を信じたからこそ、へりくだった。そして求め
続けた。信じていなければ、求め続けられない。そして決して諦めな
いので、答えを手にすることになる。彼女の信仰だった。

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母親は、主が、絶対にあわれんで下さることを、信じたから求め続
けた。主の言葉に、従い続けた。「その通りです」と自らの立場を
認めた。「その通りです」と、ひざを折って、認めて行く時に、主の尽
きないあわれみにあずかる。