2003年07月14日(月) 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです」(マルコ10:45)
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです」(マルコ10:45)
イエスは言われた「あなたがたのあいだで偉くなり たいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」 この御言葉からある牧師が言った。 「誰でも偉くなれる。なぜなら、誰でも仕える事が出 来るから」天国で栄光の座に座りたいと願った弟子達 に、主は人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべ になりなさいと言われた。私達はどうだろう。 喜んで裏方の奉仕が出来るだろうか。誰の目にもつか ないところで喜んで出来るだろうか。 私達には人に認められたい、人の評価を受けたいとい う根深い欲望がある。私達のみこころの動機は、主に 喜ばれたいという事だ。人ではなく、主だ。 主をお喜ばせするなら、自分にも満足が来る。