2004年03月14日(日)

「だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです」( I ヨハネ3:6)

罪の事を思う時、私達は罪の結果を恐れている。人前に恥であるし、
不名誉な事だ。だから、罪の結果は何とかしたいし、赦されたい。
しかし、心の底では罪から離れたくない。罪を憎んでいない。愛し
ている。誘惑とは本来甘いものだ。自らの願望と合致しているので、
乗って行ってしまう。私達は悪い習慣を止めたいと思っている。い
つも、その行為を悔い改め、赦しを求める。しかし、その行為を決
して止めようとはしない。肉には心地良いのだ。きっぱり断ち切り、
罪と認め、それに背を向け、きっぱり捨て去る事だ。罪をもて遊ん
でいると、やがて罪に飲み込まれてしまう。
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肉の性質は罪を憎んでなどいない、むしろ愛している。誘惑は心地よく、甘い。そこに浸っていたい。誘惑が苦ければ、誘惑になどならない。罪を悲しみ、憎む、新しい性質が与えられている。罪を離れること、御霊によって可能だ。