2004年04月12日(月)

『モーセは言った。「なぜ柴が燃えていないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう』(出エジプト3:3)


 モーセがホレブにやって来た時、柴の中に炎を見たが、燃えているのに、柴は焼けつかなかった。不思議に思い、よく見ようと近づいた。神はあたかも、「やっと私に注意を向けたか」と神が言われたかのようだ。神は、そこでモーセに重大な事を語られた。同様に神は私達にも語りたいと思っておられる。ところが、私達の注意はどこにあるだろう。世の事に夢中で、心が神に無いか。まるで注意散漫か。神は語るためにまず注意を引かれる。心が神に焦点が合った時に語り出される。あなたはどうか。仕事に学業に趣味に、愛するものに心を奪われていないか。あなたの状態はどうだろう。もっとよく見ようと神に近づく必要がないか。その時、御声が聞こえる。
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神様の御声はみなに平等に語られているが、他のものに気を取れれているとずっとわからない。教えられないで、何も聞かないで生きて行くのなら、なんと虚しいことか。