2004年07月14日(水)

「みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです」(ルカ21:4)

貧しいやもめの、2レプタの献金は大きな励ましとして、今日もずっと用いられている。主は献金の額ではなく、献げる心を見ておられる。彼女は感謝が溢れて、その感謝の気持ちを献金として表した。神が生活を顧みて下さる。全必要を与えて下さると信頼していたので、生活費のすべてを溢れる感謝と共に献げた。私達の献げる態度はどうだろう。嫌々か、強いられてか。神は喜んで献げる者を愛して下さる。神のして下さった事を、そのご愛をよく考えるなら、感謝が満ち溢れて来るはずだ。大金は無くとも、持っているものを献げられる。時間、賜物、労力、小さいかも知れないが、主はその献げものを喜んで受け取って下さる。真に富んだ者とは、天国へ行って初めてわかるだろう。
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主は何をして下さったのか。十字架のあの言語に絶する苦しみは誰のためだったか。主は私のために何もかもを、ご自身を捨て、すべてを捨てて下さった。その愛をよくよく考える時、色々な形で感謝を表したいと思う。その感謝の心を見て下さるとは、何と幸い。