2004年12月13日(月)

「ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、顔を見てかわいそうに思い」(ルカ11:33)



サマリヤとは当時戦争状態にある敵国であった。その敵がそこに倒れていた。深い傷を負い、半死半生で苦しんでいるその姿に自分を重ねた。憐れみとは同情と行ないが一つになったものだ。主は罪にまみれ何のすべもなく滅びに向かっている私達を憐れまれた。それゆえ天から下り、そべての地位、栄誉を捨てて、この世界に来て下さった。行動の伴った同情だ。主がご自分のことを考えておられたら、この世界には来られなかった。そして私達の救いも無かった。傷の手当てをし、宿屋に伴い、夜を徹して看病し、費用まで支払われた。これが主イエスが私達にして下さった事だ。良きサマリヤ人は主イエスだ。まずこの主の愛を十分に受ける事から始まる。
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罪の何たるかも知らず、どこに向かっているかも知らず…そのような私達のために主が示して下さった愛のほんのわずかでも、私達は人に与える事ができない。せめて、この恵みをもう一度かみしめよう。