2005年03月14日(月)

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)

ハバククは「ぶどうは実が無く畑は食物もな
い。羊は絶え、牛もいない・・しかし私は救
いの神にあって喜ぼう」と言った。状況は真
っ暗で、何の望みも無い。が、主にあって喜
び勇むと。鍵は「主にあって」だ。真っ暗な
状況を見て見ぬ振りをしたのでは無い。事実
を無い事としてごまかしたのでもない。現状
をしっかりと認めた。しかし、主を見る時、
目に見えないもう一つの現実が見える。「主
が共におられる。この困難に目的と意図があ
り、ご計画がある。益とされる。全主権は主
にあり、全状況は主の支配のもとにある。」
喜びは選択だ。思考パタンであり態度だ。喜
ぶかどうかはあなたの選択だ。「喜び」と「
楽しいハピーな気分」を勘違いしてはならな
い。真理に根ざした喜びであり、苦難の中で
神がどういうお方かをしっかり考え、信頼し
て行く事。そこに喜びがある。
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喜びとは気分の問題では無い。どんな状況の
中でも御言葉に立ち、真理なるお方を信頼し
て行く事だ。むち打ち、川の難・・列挙され
たパウロの苦難、ハピーな気分などほど遠か
った。しかし喜んでいた。喜びを勘違いして
いないか。