2001年05月14日(月)

   「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることは出来ません」(ヘブル12:14)

   

 日常生活の中で、議論になる事があるだろうか。
皆、意見、見解は違っている。
十人十色だ。皆違うだろう。議論になると、自分
の正しさを主張している事に気づく。
自分たちの主張を通す事で、自分を認めて欲しいのだ。
最初は礼儀正しく議論していても、感情的になり後で
撤回したくなるような言葉が飛び出す事は良くある。
言葉の応酬を目にする。こうした激しいやり取りは
しばしば害になる。自分が正しいとの争いは、徳を
建てる事から遠い。そして、ひどく醜い。
神の栄光を表す行為ではない。神は平和と聖めを追
い求めよと言われる。神の平和を実現する為に、人の
意見を聞くために、自分の意見を差し控える必要があ
るかも知れない。主を見る事を望むなら、これはどう
しても必要である。自分の意見を内にとどめてでも、
平和を聖めを追い求めよ。
自分の意見を守より、神の愛を表すほうが大切。