2006年07月14日(金) 「・・わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい・・たましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」マタイ11:29
「・・わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい・・たましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」マタイ11:29
疲れた人、重荷を負った人は主 のもとへ来て、主ののくびきを 負えと言われる。くびきとは、 二頭の家畜を同じ方向へ進ませ るために、一つの板に穴を二つ 開けたものだ。首をそこに入れ ると同じ方向へ進む。そのくび きを逃げたり避けようとすると、 余計にくびきが首を締め付けて 苦しい。疲れた人も、くびきを きちんと負うなら、安らかで軽 い。どんなに重荷があっても、 主に従うなら、返って癒され、 満たされ、自由にされる。 重荷から逃れる事が解放だと 勘違いするが、そうでなく、主 に在ってしっかり負う事が解放 だと。なぜなら、その重荷はく びきの一方が主であられ、主が 負っていて下さるからだ。 くびきをしっかり受け止める中 で、多くの霊的学びを得る。 ここでなくては学べない様々な 事が教えられる。今、目の前に あるくびきをしっかり負おう。 肉の安らぎではない、霊の安ら ぎ、憩い、を経験する。 ----------------------- くびきの一方が主であることを いつも覚えたい。委ねきれない で苦しむ必要は何もない。しっ かり主に寄り添って、そこから 何が学べるか見つめて歩もう。