2006年08月14日(月)

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される」詩編41:1


弱っている人へ配慮する者は、神
からの祝福を受ける。主に従って
正しく歩む者に、人々からの敵対       
があり迫害があり、又、病にもな
る。しかし、その時、その心配る
人を主が救い出されると。
弱っている人への配慮は、思って
いる以上に難しい。デリケイトな
事だ。肉はなかなか同じ目線に立
てない、寄り添えない。
上から下への施しであったり、心
密かに自分を誇る優越感があった
り、自分を喜ばせるだけの自己満
足であったり、強者が弱者をあわ
れむ事でしかない。そういうもの
が自分の内にあると、きちんと見
えていれば良いが、無意識だと、
返って深く傷つけたりする。主だ
けが真実な同情をお持ちだ。
自分には無い事をわきまえて、祈
って行く時に主が用いて下さる。
詩編記者のように、様々な痛み苦
しみに遭い、自らが主に助け出さ
れた経験を通して、初めて真実な
配慮が生まれる。苦しみで万事休
す、道が断たれた時にこそ、神に
出会い神を深く経験する。
その痛みは他者への配慮となり生
かされる。
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何かと心配っているようで、ただ
肉に反応している場合が多いかも
しれない。一体なんのために私達
は他者へ寄り添うのだろう。よく
吟味してみよう。