2007年05月14日(月)

「あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう」ルカ16:12


かの日に、私達は主から問わ
れる事柄がある。それは、わ
たしが送った、わたしの独り
子イエス・キリストを、あな
たはどうしたのか。これは最
も重大な問いだ。これによっ
て永遠が決まってしまう。そ
して、わたしがあなたに与え
たものを、どのように使った
かを問われる。私達はすべて
のものの所有者ではなく、管
理者だ。所有なら報告の義務
はない。自分のものなら、ど
う使おうとまるで自由だ。し
かし、管理なら主人への報告
の義務がある。神の任された
金銭をどう使ったか。それは、
十分の一献金を献げた後の、
十分の九をどのように使った
かを問われる。好き放題に気
ままに、自分中心に使ったの
か、それとも神に喜ばれるよ
うに、祈りつつ支出を決めた
のか。日々が永遠のためのテ
ストだ。小事に忠実な者だけ
が大事に忠実だ。この世での
管理が忠実な者に、永遠での
管理が委ねられる。神から管
理を委ねられた、富、時間、
賜物、機会・・どのように使っ
ているだろう。神と一つ心で、
神に喜ばれるように、使って
行けるよう祈ろう。「これら
をどう使いましょうか」と祈
れたなら、すでに神の御心の
中にいる。
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すべて神様から委ねられてい
るものなのに、ただ自分中心
に有効に使いこなそうとやっ
きになっている。管理を任さ
れた者という自覚があるなら
使い方は自分が喜ぶようにで
はなく、神様にとって有効か
どうかだ。