2007年07月14日(土) 「もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ガラテヤ8:15
「もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ガラテヤ8:15
人を憎んで、がんじがらめになった事が、 信仰人生で誰しもあるだろう。悶々状態 で、相手が目の前にいようといまいと、 四六時中、心は拘束され煩悶する。その 間苦しむのは相手ではなく自分だ。妬み も同様だ。心が妬む相手にすべての時間 拘束されてしまう。そして更に憎み、妬む、 自分自身が嫌で、自己嫌悪に陥って行く。 どう生きたいのだろう。煩悶の中にいた いのか、憎しみや妬みから解放されて、 相手を愛して生きたいのか。これは自分 の選択だ。御霊は愛を与えて下さるが、 自分は果たしてそうしたいのか、それを 選ぶかどうかだ。解決は、妬みや憎しみ を抑え込む事ではない。抑え込んでも、 厳然とそこに存在するので、事ある度に 出て来る。まず御前に、憎しみ、妬みを 認めることだ。悔い改めて、神のもとへ 持って行くなら、神がそれを引き受けて、 対処して下さる。出て来る度に、神を呼 び、委ね続けることだ。人にはできない 事が、神にはできる。御霊によって、か らだの行ないを殺す事は、一瞬一瞬、神 にありのままの汚い、醜い自分を見せ、 認めて行くことだ。「明らかにされたも のはみな、光」だ。神を頼り、神を選択 し続けること、その時、打ち勝って行く。 ・・・・・・・・ 抑え込んで無い振りをしても無意味だ。 まず主の前に認めよう。悔い改め、拠り 頼もう。自分の力では出来ないが、主は 奇跡をされる。しかし、自分が大嫌いな 相手を愛する事を選ぶかどうかだ。